慎重になり過ぎない | 山城 麻衣
出身地は下関で、防府の高校に通われていますね。
引っ越しました。下関から、岩国、下松、防府、と来てます。
頻繁に引っ越されているんですね。
そうなんです。父の仕事の都合で、山口県を転々として…中学からは、防府に落ち着いています。
大学も山口ですよね。
そうです。
今はピアノの講師をされていますが、ピアノはいつから弾いていらっしゃるんですか?
3歳…みたいです。
記憶にないぐらい、昔からやっていらっしゃる。
ないです。はい。
じゃあ、やりたいとかやりたくないとか、そういうことも憶えていない?
憶えていないですけど…母親がすごく緊張する人で、どこかに出て喋ったりすることが全然出来ない人で、そういう風になって欲しくないと思って、人前に出ても平気なように、ピアノを習わせたそうです。
ああ、そうなんですね。ご家族が音楽をやっていたとかではなくて。
はい、誰もやってないです。
あがり性にならないように。
そうです。ピアノは、人から見られることが多いので、そういう場が平気になるように、といって習わせたみたいです。
それは実際に効果がありましたか?
それを聞いたのも高校に入ったぐらいだったので、(人前に出るのは)全然平気だったので、大成功だねって(笑)
そうなんですね(笑)
まあ、転勤も多かったですから、そういうのもあります。
そうか、新しい友達を作ったりとか。
そうですね。
ピアノは3歳からずっとやっていらっしゃるんですか?
ずっとやっています。
例えば、学校の部活でも?
部活は、合唱部に入っていました。
部活は合唱部なんですか?
はい。でも、ピアノは全く弾いてないですけど。歌がやりたくて。
歌がやりたかった。それは、何かの影響があったんですか?
えーと、歌は…下松に住んでいたときに、少年少女合唱団に入っていて、その頃から好きだったのかも知れないですけど、それで歌うのが好きになって。で、合唱部があったので。最初は「伴奏をやってください」という感じで声が掛かったんですけど、「いや、伴奏はやりたくないです。歌いたいです。」と言って(笑) だから、ピアノは全く弾かずに、歌っていました。
へえー。ピアノはピアノ教室でやりつつ、部活では歌を。
はい。
そこは、素人考えですが「ピアノを弾きながら歌おう」とは思われなかったんですか?
そんな考えは(笑) その頃は、歌いたかったですね。
面白いですね。ピアノと歌のウェイトは同じぐらいだったんですか?
いや、もう部活は…一応強かったんですが、指導者がちゃんと居たわけではなかったので、割と真面目には行ってましたけど、ピアノに支障がない程度…という感じでした。
なるほど、やっぱりメインはピアノだったんですね。ピアノを弾くのは楽しかったですか?
楽しかったですね。小学校4~5年生のときに先生が替わって、そのときまで「ここままじゃ、将来ピアノが弾けなくなる」というぐらい、正しいひき方をしてなかったんですよ。だから、そこで一からやり直させられて。本当に幼稚園児がやるような、大きい音符でひとつひとつ、脱力、脱力、というのをやらされて。それまでは、弾いていたら腕がすごく疲れていたんですけど、それからはそういうことがなくなって「これが正しい弾き方なんだ」と思い出して、それからは楽しかったですね。
その先生に出会ったことが大きかったんですね。
そうです。大きかったですね、本当に。その先生に出会ってなかったら、今こういう風に出来ていないと思います。
その先生には、どのぐらいの期間習ったんですか?
その先生には、3年…4年ぐらいですかね。先生が結婚されたので、その知り合いの先生を紹介していただいて。だから、防府から下松までレッスンに通ってました。
そうなんですか。習い始めの頃は下松に住んでいて。
はい。大学に入るまで通っていました。