ちゃんと気を抜いて | 桜井 愛子

お願いします。楽しみにしてました。

本当ですか?それはよかったです。ちゃんとお話をするのは初めてなので、まずは基本的なところから。高校・大学と梅光学院に通われていたそうで…ご出身も下関なんですか?

生まれたのは、山陽小野田市埴生です。

あ、そうなんですか。

はい、旧山陽町ですね。

だからFacebookにあげていらっしゃった、お誕生日ケーキの写真に”埴生”って書いてあったんですね。

そうなんです。埴生で有名だった「トロアメゾン」というケーキ屋さんがあるんです。主人が誕生日プレゼントを埴生尽くしにしてくれたんですね。埴生関係ということで、トロアメゾンの方にお願いして、ケーキを山口県のかたちにしてもらって。

なるほど。埴生のご出身で、高校・大学と下関の学校に通われて。

中学校もです。中学受験して。

あ、そうなんですか。じゃあ下関にいらっしゃる期間は長いんですね。

長いです。小学校も途中から下関になりまして。

引っ越して来られたんですか?

はい、引っ越してですね。でも、おばあちゃん家がずっと埴生だったので、行ったり来たりしながらです。

なるほど。で、大学を卒業されてから、山口県観光フレンズに就任されるまでの期間は、どのように過ごされていたんですか?

えーと…その期間に、私の人生を変える職場に出会って。

人生を変える職場?

そう。バイト先だったんですけど。短大時代に「ディズニーストア」というショップで、キャスト(演出者)として働いていたんです。そのキャストというのが、ものすごく”成り切る”お仕事というか、この時間オンステージに立っていただきますよ、という機会を与えられたような気がして。お客さまに”商品を売る”というよりも、”ディズニーマジックをかけてあげる”という、その精神論というか…それが私にとってすごく大きくて。

今の観光の仕事でも、ディズニーマジックをお客さまにかけてあげるというのは、いつもいつも頭のどこかで意識しています。で、短大を卒業して、正社員になるために、ここから一番近い小倉店で働かせて頂いて…結局、試験に受からなくて。

試験があるんですか。

正社員の枠が狭いので、試験があるんですよ。準正社員までは行ったんですけど、正社員にはなれなくて、ずっとアルバイト扱いで。母親と「いつまでに正社員になりなさい」という約束があって、その日までになれなかったので、結局辞めちゃったんです。

期限があったんですね。

はい。あとは、中学校ぐらいから公民館に行くのが大好きで。

…公民館?

はい。埴生公民館とか、勝山支所とか。

勝山支所??

ああいうところに行って、「かがやき」(下関市の市報。平成22年5月から「市報しものせき」に名称変更された)みたいな市報のもうちょっと地域版を見たり、おじいちゃんたちのフォークダンスに行って一緒に踊ったり、そういう町の中の人の町というか…なんていうんだろう?

コミュニティ、ですか?

そうそうそうそう。濃い感じの。そういう人たちと接するのが大好きだったんですよ。友達と遊びに行くよりも、そういうことばかりやっていたので、ディズニーストアを辞めた後に母から「あなたは医療事務をやったら?おじいちゃんおばあちゃんたちと沢山関われるし、その地域のことがよく分かるんじゃない?」と言われて、「長府みらいクリニック」で医療事務を始めたんです。そこの先生には、今でも仲良くして頂いているんですけど。

そこからしばらくして、「海峡ゆめタワー」でアテンダントとして働いて。で、観光フレンズに受かったので、観光フレンズになって。観光フレンズのお仕事がちょっと特殊だったので、それがOKな職場を探して、今の社長と出会って、「割烹旅館 寿美礼」の仲居さんをして…という感じですね。

ほおー。その、公民館に通うというのは、何かきっかけがあったんですか?それとも、自然とそういう風になっていったんですか?

「暇だな」と思ったときに、思いついたのがそこだったんですよ(笑)

暇つぶしに行ってみたんですね。

そうです。そしたら、思いもよらぬ楽しいものが沢山あって。「あ、こういうものってこんなに楽しかったかな?」と思うぐらい、私にとって”発見”だったんですね。で、楽しいなと思って入り込んじゃって。そしたら、おじいちゃんおばあちゃんたちって、中学生ぐらいの若い子が来ると喜ぶんですよ。すごくウェルカムな感じで接して頂いて、いろいろ良くしてくれるし、可愛がってくれるし。

地域のお祭りに行ったら、おばあちゃんがぜんざいを作っていたりとか、ポンポン菓子を作っていたりとか、そういうのに出くわしたら「あ~愛ちゃん!あげるよ!」とか。普通の同じ世代の友達からは「なんで愛ちゃんそんな人と仲が良いの?親戚?」みたいに言われて。「違うよ、公民館で知り合った。」って言ったら、友達は「えっ!?」って驚いていたけど、私にとってはそれが自慢だったんですよね。

友達に、そういう風に見られることも、おかしいなって思われているのは分かっていたんですけど、なんか快感にもなってきちゃって。なんか、そういうのを伝えたいとか、もっと同じ世代とそういうところに行けるようになりたいとか、そういうことを思っていました。

その当時は。

はい、その当時からずっと。

今も。

はい。