ちゃんと気を抜いて | 桜井 愛子

結構あの、予想もしなかったところから話が降ってきたので…

えっ、うそ?どこがですか?

その、公民館に通っていたというところが…

そう、だから私マニアックなんですよね。観光情報も、王道を流しておけばいいのに、ちょっと違うところを流したり。そういうほうが味があって面白いと思うから。

なるほど(笑) そういう情報をわざわざ選んでるんですね。

だから、みんながみんな良い反応を返してくれるわけでもなくて。「桜井さん、そこですか?」「出ましたね。」とか、そういう感じで受け止めてくれたりとか(笑)

その辺と話が繋がるかどうか分からないんですけど、お好きな歌手の名前を見ていたら…最初にあがっていたのがBOOWY。

BOOWY!はい、大好きです。

BOOWY、長渕剛、浜田省吾、中島みゆき…そして松田聖子。なんかちょっと、年齢の割に渋いなあと。

(笑) よく言われるんですけど。どうしてですかね?

どうしてなんでしょうね。昔からお好きだったんですか?

はい。元々聖子ちゃんの大ファンで、追っかけをしているんですけど。そうすると、聖子ちゃんが出ている番組って「懐かしのヒットソング」とか、そういうのしかないんですよ。それを録画して、学生時代に何度も繰り返し見ていたんですけど、そうすると…名曲なんで好きになっちゃいますよね(笑)

(笑) そうですよね。昔の曲は良い曲が多いですよね。聖子ちゃんの追っかけになったのは?

友達のお母さんの車で流れていたんですけど、声を聴いた瞬間から忘れられなくて。それこそ聖子ちゃんじゃないですけど「ビビビ」ときたんですよ。で「あの人は誰だ??」と思って、パソコンもない時代に、一生懸命探したわけです。CD、というよりカセットですよね。で、ようやくCMか何かで流れていて、母に教えてもらって、それからどっぷりですね。

それはいつ頃ですか?

小学校六年生。

桜井さんの世代だと、同世代のお友達はおそらくMr.Childrenとか…

あ、そうそう。安室ちゃん(安室奈美恵)とか。

そういうところには行かず。

行けなかったんです。全然興味持てなくて。のめりこんじゃうと、それ以外には行けないので。

公民館に通い始めたのが中学生のときとおっしゃっていましたよね。その頃からそういうものに興味を持ち始めたのかな?と思っていたんですけど、実はそれ以前から公民館にハマる素養があったんですね。

母子家庭だったんで、おばあちゃんっ子だったんですよ。すごく仲が悪いんですけど(笑) でも切っても切れないというか…まあ最終的には仲が良いんでしょうね。

なるほど…へえ。その話が今にどう繋がっていくんだろう?

うふふ、どうしましょう。

今やっていらっしゃることについて、ちょっとお伺いしたいんですけど。

はい。

まず観光フレンズとしてのPR活動をされていて、ここの「みもすそ川公園」で紙芝居をやっていらっしゃいますよね。紙芝居は、観光フレンズのお仕事なんですか?

あ、いえいえ。全然違います。市報に載っていて。私、市報大好きなんですよ。熟読するんですけど毎月。そこに「歴史体感☆紙芝居 語り部の会」という会の募集が載っていたので応募しました。

じゃあ観光フレンズは関係なんですね。でも、結果的には繋がっている…という。紙芝居は、単純に興味があったから始めたんですか?

というより、始めたきっかけは…このときすごく焦っていて。私の最終目標というか、目指していることが…山口県内の観光をお客さまに推したくて。県内観光ですね。

一泊二日の旅行として下関で一泊してくれたとして、次の日に「近いから」と九州に行くんじゃなくて、県内にものすごく観光できるとろはあるから、長門でも美祢でも行ってもらいたかったし、岩国だったらその周辺に柳井とか大島とかすごく良い所があるので、そこに行ってもらいたいという思いがすごくあったので。

観光フレンズと仲居さんをやりながら、やっぱり自分の出来ることには限界があって、お休みの日が勿体なかったんですよね。山口県観光フレンズとしては、主に県外の方が山口県に来てくれるようにPRするというお仕事が多いんですけど、仲居さんとしてほぼ毎日お仕事しているときは、実際に下関に来てくださったお客さまを接客して、「どこか良い所はありますか?」と訊かれたときに、チャンスだ!と思ってワーッてご案内する、と。で、ご案内するんだけど、やっぱりお客さまの行きたいエリアがまずメインで、それにあわせてご案内するので、九州を言われちゃうと、やっぱり九州のご案内をしてあげないといけないし…

それ以前に、旅館というのはゆっくり過ごして頂く場なので、お食事中にお話するとか、お布団を敷きながらお話するとか、時間が限られてしまう。もうちょっとこう、お客さまが「下関のことを知りたいな」と遊んでいる最中に会えないかな?と思って、それで紙芝居を始めたんです。それがきっかけです。