人を真似る | 岡崎 春代

OKAPPAさんは2店舗ありますよね。お二人は同じ店舗でお仕事をされているんですか?

春代さん 別々です。私は化粧品会社の出身なんですよ。元々、九州出身なんですけど、こちらに来て主人と知り合って、結婚して。まったく美容師とは違う分野の仕事をしていたんですけど、お店を手伝うようになってから、メイク、着付け、エステ…といったかたちで、お店のサブメニューのほうを担当していました。

そうなんですね。

春代さん はい。で、娘が二人居まして、この子(淳子さん)が美容師免許を持って。最初はまつげパーマというのを、20年ぐらい前に始めまして…エステサロン等ではやっていたんですけど、美容室でまつげパーマをするというのは、宇部ではうちが最初だったんですね。それから、時代がまつげパーマからまつげエクステという方に流れていって、この子が担当するようになりました。厚南の本店がもう27年になるんです。

27年ですか。

春代さん ええ。で、こっち(常藤店)は、20年勤めてもらった店長が去年の4月に独立して、この子が一人で店長というかたちでやってくれています。

淳子さんが、常藤店の店長をやっていらっしゃる。

淳子さん はい。まあ店長というか、一人でやっているんですけど(笑)

お一人でやっていらっしゃるんですか?ほお…27年前に厚南店が出来た。

春代さん はい。主人とスタッフ2人の3人でやっていて、お店が軌道に乗ってくると、人手不足になったので私も出るようになって。で、それから8年ぐらい経って、浜店というのをオープンしたんです。そこは、主人と一緒に苦労してきた店長に、暖簾分けというかたちで譲って。それから平成12年3月に、ここ常藤店をオープンしました。ここは、昨年独立した店長にやってもらっていたんですけど、20年を区切りに独立したので…力不足だと思ったんですけど、この子に任せてみたら…意外とやるんですよね(笑)

なるほど(笑) 春代さんは、ご主人のヘルプで美容業界に入られて、27年間の中でどんなことを感じていらっしゃいますか?

春代さん そうですね…私が心掛けてきたことは、”お店の奥さん”という態度は、絶対に出さないこと。スタッフの一員であるということ…だから、他のスタッフがセット面に居て、下働きが私。たとえ年下でも、免許を持っている人は”先生”。そういう気持ちは、営業時間内は心掛けています。

そこは、親子でもそうなんですか。

春代さん 「春さん」って呼ばれますね(笑) だから、たまに手が回らないときに、こちらを手伝いに来るんですけど、本当に顎で使われますよ(笑)

淳子さん いやいやいや、使ったつもりはないけど(笑)

そこは、お仕事を始められたときから、徹底されているんですか?

淳子さん 最初は、そんなんじゃなかったけど…私自身は。やっぱり、甘えがあったと思います、最初の頃は。時間が経ってからかな…だって、自分の父親のことを「先生」って呼ぶの、恥ずかしいよねって…たくさん人が居る中で。「先生」…その一言が言えなかった、ずっと。勉強会でもそう、衝突するばっかり。素直に聞きたい自分も居るんだけど…。

だから、技術を教えてもらうときは、親子じゃなければ良かったな…という思いはすごくありました。技術を教えてもらうときは、他人が良かった。父親に当たれないから、そのぶん母親に当たって…そのギクシャクは、結構長かったですね。何度美容師を辞めようと思ったか…。

春代さん 本当に、血族というのは難しいと思います。

技術を教えてもらうときは、他人のほうが良かった。それは、技術面ではお父さんを信頼されていたということですか?

淳子さん そうですそうです。本当、他に居ないだろうな、というぐらい。小さい頃には分からなかったですよ、でも自分が歳をとるにつれて、自分がセット面に立つようになって、「この人はこんなに凄いんだ」って分かった。

自分が実際にセットをやりはじめてから。

淳子さん そう。で、二代目とか三代目とかって、父を超えるとか、その上に行かないといけない。でも、正直無理だなっていう思いもあって。