よりよい自分を常に探す | 松本 雅代

洋服屋さんで働き始めたのはいつ頃ですか?

元々は、オーナーが独立する前に勤めていた店に、たまたまアルバイトで入って。それが自分にとっては、すごく世界が開けたというか。大学に入ったんだけれど、自分の興味のあることを共感できる人が周りに居なくて。もう少し専門的なことを勉強したかったので、中退も考えたりして。今は違う感覚で山口をとらえていますが、その当時は山口という場所が都会ではないこと、興味があるものを見られる環境にはなくて…ジレンマでした。

大学三年のときに、オーナーが勤めていた店にたまたま入ったんです。メンズのお店で、なおかつ好きな系統の洋服でもなかったんですけど、東京でテキスタイルの仕事を経験されており、独立するために地元に帰ってこられたという志の高い方がたまたま店長で。それが今のオーナーだったというわけです。お話をさせてもらうようになり、センスの部分や、人柄など共感できることがたくさんあって、こんな人が洋服屋に居る、というのも私の中では衝撃的だったんです!もっとチャラついたイメージ(笑) だったから。

そういうものを期待して、アルバイト先に洋服屋を選んだわけではなかった?

全然。その前はユニクロではないんですけど、ああいうような形態の洋服屋でアルバイトをしていたんです、それもたまたまで。自分が好きなものではないので、単純にお金を稼ぐためにそこに居た、という感じだったんですけど。

オーナーの下で働くことになったのは…私の一つ上の先輩がレディースのほうでアルバイトをしていたんですよ。その先輩から「メンズのほうで募集があるんだけど、どう?」と言われて、まあ洋服は好きだったし興味があったので、単純にそんなレベルで入っただけだったんです。

そのアルバイトは、いつまでやっていたんですか?

四年生の夏で、お店がなくなったんです。

四年生の夏というと、就職活動終盤の頃ですよね。

私は悶々とした大学生活を過ごしていたので、自分が何をやりたいか迷っていた時期で。色々な選択肢はあったと思うんですけどオーナーが独立したいという話はずっと聞いていて、たぶん一番興味があったのがそれだった、という。今考えれば「若かったから出来たな」と思うんですけど。何の補償も無い中に飛び込むようなものですから。

「生活を豊かにする」「自分の感性を活かす仕事がしたい」ということと…今まで自分で何か大きな決断をして人生を歩んではいなかったので、型にはまっていない何か、自分の力が試せる何か、というものにチャレンジしてみたかった、という思いがあって、「一緒にやってみたいんです」という話をして。そしたら、オーナーは「一緒にやりたかったけど、人生を大きく左右させることだし、自分からは言えなかった」みたいな感じで。そういうところから、パートナーであった裕美さん(菊地さんの奥さん)と初めてお会いしたりして。

でもやっぱり「そういう訳も分からないところに入る感じだから、ご両親の了解を得てからにしよう」と言われて、両親を説得して。たまたま、卒業する年の3月5日にオープンだったんですよ。だから、卒業と共にそのままその世界に入った、という経緯ですね。卒論を書きながら、連れて行ってもらえる展示会には、連れて行ってもらっていたんですよ。

本当にお店の立ち上げから一緒にやったんですね。すごいタイミングですね。

そうですね。でも、私は20歳ぐらいからは”そういう感じ”ですね。そういう人生です(笑) なんとなく自分が描くものが、ご縁があって出来るようになったりとか。オーナーは典型的な有限実行タイプで、オーナーと出会ってからなのか、分からないですけど。そういう人の近くにいるといい縁が巡ってくるのかもしれませんね。形のない縁というものに導かれている感じですね。