一緒に作っていきたい | 曽田 元子
「メディア芸術祭エンターテイメント部門 優秀賞」受賞おめでとうございます。
河口さんこそおめでとうございます。そのままそっくりお祝いの言葉をお返します。
これまでの山口アートネットワーク(以下、Yan)の取り組みが実った受賞じゃないですか?
ありがとうございます。そのように言われると嬉しいですね。
受賞の決め手が、作品のアイデアもさることながら…制作現場では見えるけど東京では見えない、河口さんを筆頭とした山口のテクニカルチームや舞台制作関係者の人たちがどういう関わり方をしたのか、そこのローカルで一番見て欲しい部分を、審査員が見てくれていたというのが、今回の受賞にあたって一番感動したところです。そこが審査員には伝わらないだろうと思っていたので。
メディア芸術祭のサイトにも「山口市の多くの市民の協力のもと…」という、地域性が謳われていて、こういうことは初めなので感動的でしたね。地方をフォーカスしてもらえて良かったかなって思います。
それも、Yan活動をこれまで地道にやってきていたからこそ、急に来たアーティストの要望にも、応えることが出来たんじゃないかなと。
そうですね。小さな団体がありがたいですね。そう言えば今年の春頃、Yanのコアメンバーと、NPO養成講座に出席して、10年後はどうあるか、自分達の団体の要素は何か、というのを全部書き出すトレーニングを受けたんです。そこで、私たちは何を持っているの?と書き出してみたら、お金は無い、場所も無い…あるのは知的財産だったんですね。今回、その財産が初めて価値を生み出した気がします。地域の皆さんの人柄と、持っている力で、こうして大きなものを作れるんだなと。山口の地域力ってすごいな、誇れるな、と改めて感動しましたね。才能がしっかり根付けるのが、逆に地方の魅力なのかもしれませんね。
素朴な質問なんですけど、曽田さんは山口を離れていた時期はあるんですか?
はい、学生時代に県外へと言っても隣の県の広島までしか行っていません。田舎に行って、田舎に飽きて、山口の田舎に戻ってきてしまった。思いきって東京まで行けば良かったなー。
田舎に飽きて、田舎に戻ってきた(笑)
親も帰って来いと言うので、戻ってきて親が勧める会社の面接を適当に受けて受かったのでゆるく就職しました。本当は某テレビ局にチャンスがあったのですが、履歴書をきちんと書いてなかったので、却下されましたよ。履歴書はきちんと書かないといけない、というのをこの歳になって感じました(笑) あれは大失敗でしたね。
適当すぎますね。若い頃は適当な人だったんですか?
そうですね、あまり深く考え込む方では無かったですね。うちは、家族全員O型なんですよ。目標だけは持って結果オーライみたいな家族でしたね。一番焦ったのは、高校入試のときで、3ヶ月集中勉強して合格しました(笑)。
私が20歳前後の頃は、今ほどモノが無いので、そこまでのめり込めるものが無かったのかも。今の子たちは、YCAMがあるし、パソコンもある、インターネットもある。公共交通機関も便利になって、国内の移動なんて日帰り出来ますよね。私たちの若い頃は、車を運転するのがメジャーだったのかな。社会人になったら、免許を取って車を買う、というのが一般的でした。
車にはまっていた…当時は何の車に乗っていたんですか?
当時私は、三菱に勤めていて他社はNGだったので三菱しか買えなかったんです。
そうなんですか?
で、体が小柄だから、運転しやすいランサーを買いましたね。
ランサーですか。
当時はスポーツカーが人気でしたね。男子は車が無いと彼女が出来ない時代でした。助手席に乗るような男子は居なかったかもしれません。
厳しい時代ですね。
それを考えたら面白いですね、今は全然時代が変わって来てますね。