一緒に作っていきたい | 曽田 元子

「世話好き」「企画好き」というのは、子供の頃からなんですね。

でも、そんなにエンターテイメントじゃないんですよ。そのときに町の人たちが見ていて、皆が参加出来る企画をしただけです。そういえばスケールが小さいだけで、やっていることは今と全然変わってないかも知れない(笑)。もうちょっと格好良いことをすれば良かった。

それが面白いと思ったんでしょうね。

そうですね、クラスの皆が出演者として参加出来るからそれを使ったのかも知れない。

パフォーマンスとかではないんですよね。

そうなんですよ。当時は「パフォーマンス」という言葉が無かったかも。サーカスならありましたね(笑)

でも、お芝居とかはあったでしょう?

ありました。教科書に載ってましたから。友達を家に呼んで舞台の道具を作っていました。道具を作るのは大好きでしたね。

美術は好きだったんですね。

好きでしたね。それで、美術系の学校に行きたいなとも思っていたけど、カメラマンにせよ美術にせよ…勉強が出来る子が良い子、という世情があったので「何を言っているの?」と、全く理解されなくて、私自身がそれを押し切る強さが無かったのがちょっと残念でしたね。「反対されても、私はこれをやりたいから!」と、好きなことをやっている今の子たちが羨ましい(笑)

そういう時代の、ばっさり切り捨てられたり、押さえつけられたりした、鬱憤を今晴らしているというような部分はあるんですか?

どうでしょうか、やっぱりこの山口情報芸術センター(以下、YCAM)が出来たことが大きいですよね。YCAM建築中の頃、私自身色々なことがあって人生が行き詰っていました。自分の中で、子育てもある程度落ち着いていたので仕事できっちり社会性を復活させたいな、と思っていた時期でした。ちゃんと仕事を見つけて、収入もちゃんとしたい…今のままではいけない、今しか自分が変えられないかも知れない…と思ったときに、通勤途中に工事中のYCAMを見て、「あ、ここじゃない?」「私、ここに行きたい」と思って。ここに勤めるにはどうしたら良いんだろう?と、急に胸が高鳴る思いが込み上げてきたのです。

その時期に地域情報紙の第一期YCAM市民委員会の委員の募集を見つけて応募しました。この委員でちゃんとした企画をしたら、ここに就職できるかも!と甘い思いを抱いたこともありました。

YCAMの市民委員から、ドキドキするような2年間が始まりましたね。今ほど落ち着いてなかったですからね。当時のYCAM職員の方は皆がピリピリしていましたよ。東京から来たテクニカルの人たちも、この新しいメディアアート施設で何が出来るんだろう?という雰囲気で。特に、大きい企画が予定されていたので、そういう経験はゼロじゃないですか。2年間、毎月ふたつぐらい大きな企画がありましたよ。それに並行して、毎月市民委員会の企画は煩わしいと思われていたと思いますよ。

(笑)

でも、何もないところから、新しいものを作るドキドキ感っていいですね。事例がないから、冒険できるじゃないですか。最初にやったのは、パッケージで来るポップオペラでした。そのままここに入れ込めたらOKじゃないですか。でも、そのときは知識がゼロ、マイナスからのスタートでした。とても大変でしたね。企画から実現までに一年掛かりました。苦労した甲斐あってYCAM初の満員御礼。来場者の方の喜ばれている顔が忘れられませんね

すごい。

最初にYCAM初のコンサートチラシを作ったのですよ。その翌年は、ホワイエの階段とロビーを使って、コンサートを開催しました。たまたまテレビでヨーロッパの森でコンサートしている映像を見て、「あんな風にここで演奏できたら、どんなに楽しいだろう」と思い、ここ(ホワイエ)なら、なんだか森のような雰囲気があると思い、ゴスペルとボサノバを企画しました。

まだ市民からYCAMが「何やっちょる施設だ?」と思われている時期に、市民が自由に楽しめる場を提供できる、これこそ市民企画だ!と思って開催しました。階段を客席として使うために、建築基準法で何キロまで耐えられるかを調べて、何人ここに座れるか、という安全性を考慮して安全数値を計算しましたね。

そんな苦労はありましたが、楽しかったですね。約300人位の人に楽しんでもらえましたよ。でも、コンサート一週間後に台風19号が来て、YCAMの屋根を全部さらっていって、あっという間に余韻すら消え去ってしまいましたね。

あの年ですか。

まあ、それがイベントなのかなって。作る過程はすごく時間が掛かるけど、一瞬のうちに終わって、まあ100人来て1人でも心に留まるものが残せたら、それで100点かなって。そのイベントに来られた人のアンケートに、「仕事帰りにたまたま立ち寄ったら、素敵なコンサートがありました。ふと階段に座って聴いていて…ずっと一人で頑張ってきた自分を、褒めてあげることができました。ありがとうございます。」と書いてあったんです。終わった後にそれを読んで「ああ、これだな」って実感しました。

地域から発信するイベントは、その人たちと山口を噛みしめながら、普段頑張っている人たちに「お疲れさま」と、ご褒美をあげられるような、そんな企画が出来たらいいな、と思って活動しています。その割には、本番まで毎回行き詰っていますけどね(苦笑)