それでも、私はそうやっていきます | Kinuyo
約1年ぐらいに収録された、山口宇部経済新聞さんのインタビュー記事がよくまとまっていたので、その内容を確認させていきながら、変わったこと/変わらないことなどをお伺いしたいと思います。
はい。
音楽活動を始めたきっかけは、ドリカム(Dreams Come True)だったということですね。
そうですね、音楽全般好きだったんですけど、たまたまドリカムさんの野外ライブをビデオで見て、「凄いっ!!!」っていう印象を受けたんです。ドリカムのパフォーマンスももちろん圧倒されて感動したんですけど、そういう見る側の思いだけじゃなくってなんかこう「ここで歌ったらすごく気持ち良さそうだな」とか「歓声とかすごいな」って、その空気にも引き込まれる感じがあって。自分もそこ(ステージ)に立って歌いたいっていう思いがあったんですよね。
それが中学生のとき?
はい。たぶん中学三年生ぐらいのときに、初めてカラオケというものに行ったんですよ。で、人前に出るのが苦手で恥ずかしがりやの自分でも「歌えるんだな」っていうのと「すごい楽しいな」って思って。そのときはカラオケで楽しむ程度だったので、音楽活動がどういうものかとか全く知らなかったし、どう動いていいのかも分からなくて。まだ漠然とした夢でしかなかったです。
高校生のときも、やっぱり歌は好きだけど、どうしたらいいのか分からないのと、日々部活ばかりやっていたのでそれに追われて、周りにもバンドをしてる人とかいなくて、バンドを組むとかそういう思いは全然なくて。夢はでっかくあるけど、どうしていいかわからずで、家でよく歌ったり、音楽の授業で歌うことをすっごく楽しみにしてる…歌に関してはそんな女の子でした。
部活は何をやっていらっしゃったんですか?
陸上部です。中学のときから。
ちょっと音楽活動とは毛色が違いますね。
たぶんどこかで、音楽活動は”夢の世界”って考えていたと思うんですよね。現実味がないっていうか。だから、音楽は好きで漠然とした夢はあったけれど、どうしていいか分からなかった。先に進む手掛かりもなく…って感じだったので、何もできなかったんです。それで、高三になって進路を考えるときに、「自分は歌が好きだから、歌手になりたいから、東京に行こう」って思ったんですよ。何のあてもないんですけど、そのときは「東京に行ったら何とかなる」って思ってたんですよね。
親からは「そんな馬鹿な事を言うな」とか「現実を見なさい」と反対されて、「あっそうだな」と思って。行ったところでどうなるかも分からないし、そのときは自分で生活していたわけじゃなくて、親が居ての自分の生活だったので、東京へ行ったところで、一人でちゃんと生きていけるかどうかも分からない。自分の中で夢は”歌手になること”っていうのがあって、でもそれはやっぱり頭の中で”夢の話”、現実とは全然別の世界の話で。
じゃあ自分が現実に生きていくには…って考えたときに、進学しようと思って、看護大学に行ったんです。保母さんか看護師さんになりたかったので。でも、歌ほど「これが絶対したい!」っていう断固とした思いはなかったんですよ。音楽はやりたいけど、親には頼りたくない、迷惑をかけたくない、自分の力で音楽活動をしたいという思いがあったので「自分でお金を稼いで、それで音楽活動をしよう」ってそのとき思っていて、「看護師は、とってもあこがれていた職業で、人を助けるというとってもやりがいのある仕事。さらに、今は医療従事者が不足してるという現状なので、資格が必ず役に立つと思ったし、そして収入がちゃんとある職業でもあるので自分がしたいこととの両立ができる」っていう思いがあって、それで看護大学に行ったんです。
大学に行って、ちょっと音楽を始めようと思って、最初は音楽サークルに入っていたんですけど、メンバーが見つからなくて…辞めて。勉強は忙しいし、しかも田舎の大学だったんで、音楽に触れる機会もあまりなくて。全然知らないところだし、どこでライブがあるとか、そういう情報も入ってこなくて。
それで、mixiで「自分は音楽活動をしたいんだけど、どうしたらいいか分からない状態です。どういう風に動いたらいいですか?」っていうようなメッセージを、全然知らない人に送ったんですよ。その人は小倉のイベンターさんだったんですけど、結構音楽情報を発信されていて、「この人だったら答えてもらえるかも知れない」って勝手に思って、メッセージを送って。
そしたら「こうしたらいいよ」とか「自分もライブを主催しているから、今度出演してみますか?」とか返事が返ってきて。それで、何回かライブでカバー曲を歌わせていただいたり。あとは、そのイベンターさんのライブで知り合ったギターの人が居て、その人にも「どうしたらいいか分からない」という事を話していたら「じゃあ路上ライブをやってるから、今度一緒にやろうか」と誘ってくれて。福岡で一緒に路上ライブをして「あ、こんな感じなんだ」っていうのが分かって、やっとそこから始まった感じで。
でも、勉強も忙しかったから、音楽活動は実際そこまで出来ずに、大学時代はそのぐらいで終わっていて。社会人になってから「働きながら音楽活動を両立しよう」って自分の中で決めていたんですけど、あまりに仕事が忙しくて、自分の時間がなくて、音楽活動が一切できなくて。お金が貯まったので「両立も出来ないしもう辞めよう」と思って、仕事を辞めたんですよ。収入も社会的地位もすべて捨てることになるのですごい勇気がいりましたけど…。でももう音楽一本でいこうと思って。
仕事を辞めて、本格的に路上ライブをやりだして、オーディションを受けたりもしたんですけど、最後のほうまで行くけど落ちるとか、審査を通っても「じゃあ事務所のスクールに入りましょう」とか。「スクールじゃない」っていうのは自分の中にあって。スクールはただ学校に行くだけだから、デビューとは全く関係ないと思っていて、そういうお話は断ったりしていたんですけど。オーディションを受ける意味ってなんだろう?って考えさせられたり、そうこうしていくうちに年齢制限でオーディションも受けられるのがなくなったりして、もう自分で活動するしかないなと思って、ちょこちょこライブに出たり、路上ライブをしたり、っていう感じで今に至ります。だいぶ省略してるけど…。