その瞬間を見逃さない | 原田 章子
いまそうして写真を撮られていて、放課後等デイサービスでお仕事もされていて、大学で勉強もされていて。それらがひとつどこかで集約する点、繋がっているところはあるんでしょうか?
あー、勉強を始めたときは「無謀や。」って思ったんですけど、でもみんな繋がっているような…気がしますね。結局…表現するってことかな?
最終的には、自分の目標として”居場所づくり”が出来たらいいなぁと、思っています。居場所というより、表現者たちの出会いの場的な空間。それは、アーティストと心が病んだ人たちだったり、表現者と表現をしたいと思っている人との出会いの場であり、ゆっくり出来る場所。そのときに、コミニュケーションの媒体がアートだったら、表現するということだったら、全てを共通にしてくれるというか、隔たりがないというか、“障害”という壁が無くなっちゃうというか…みんな繋がっていくんだ、ということが分かって。
脳の勉強なんかをしていると、結局認知の違いなんですよね、単なる。脳の発達が違うわけだから、認知も違うし動き(表現)も違う。ここの分野がちょっと苦手、でも別のところは逆に特化しちゃっているから、そこを生かす経路をうまく使ってやればスムーズに認知が出来る。その子どもがわかりやすい環境を作ってあげれば、認知できなかったことが認知できるようになる。「じゃあ、環境を変えればいいじゃん!」と…そういうことがわかってきたんです。
昔はこの認知違いを”障害”という風に思っていたんだけど、結局みんな脳の発達が違うわけだから、認知も違うし動きも違う。そりゃ当然だよね、と思えるようになってきて。なんて言ったらいいんだろう…全部繋がっているんですよね。
ボランティアや市民活動などを続けていく中で、色々な人に出会ってきましたね。私は元々山口市民ではなかったので、活動を通じて「山口」を知っていったんですよ。例えば、山口市中心商店街を紹介するガイドブック「もっちょき」(2005年3月発行、山口市商店街連合会)のときは、山口にたくさんある路地の名前やその由来を調べていくうちに、一の坂川の変遷も知りました。昔の写真と共に私にお話をしてくださったのが、ギャラリーナカノのお母さん中野雅恵さんでした。
その後アートふる山口関係者の方から、昔の一の坂川の写真の冊子をいただく。オモイデコレクタス「記念日カレンダー」づくり(meets the artist 2005)のときは、50年前の山口国体の写真を見ることにつながる。今思うとすごく不思議なんですけど、みんなつながっていくというか…前だれかに教えてもらったことが、ある日突然リンクして、またそれがまた違う時にリンクする…。そういうことがたくさん起こってきて…あれ、この話は勉強と結びついているのかな?(笑)
ちょっと、子供のことをどこまで言うべきなんだろう、って。そこが悩んでいるところなんですけど。子供が”学校に行かない”という選択をしたことによって、すごく自分が凹んだんですよ。当然凹みますよね。でも息子はもっと大変だったんです。私は、そのことになかなか気づくことが出来なかった。私が息子を追い込んでいたんですよ。ホント、ダメ母ですね。すごく苦しかった、すごく苦しかったけど、ありがたいことに巡り会ってきた人たちに恵まれていました。巡り合わせがいいんですよ、私って。
今思えばと、いつも大変なことが起こっていつも凹むんですけど、必ず這い上がっていくんです(笑) そこには必ず、運命的な出会いがあったりとか、ポンと抜け出せる瞬間に出会うことがあって。自分が今までやってきたことと知識がピンッと急にリンクして、「あっ、これだ!」って、パーッと上昇していくんですよ。そしたら新しい活動が起こるんです。で、越えちゃうんですよ。そんなことが、最近ものすごく起きている。
その話は、先ほどの「体験に理論がくっついてきた」という話と一緒なんでしょうか。知識が後付けで身について「あ、そうだったんだ。」というような。
あ、うん。それが実生活の中でも起こってきている。
そこがリンクすると、ひとつステージがあがる。それを繰り返していると。
そう、あがっちゃうんですよ。昔は、それに気が付いていない。いっぱいみんなが助けようとしてくれていたんだけど、たぶん私がそれを分かっていなくて。だいぶ余力が出てきて、周りのことが見えてきて、人が手を差し伸べてくれるその瞬間を見逃さなくなった…というか。一回失敗をしたら、次は出来るようになるじゃないですか?その繰り返しですよね。
で、今からやっていく卒論研究のきっかけは、息子くんが学校に行かないという選択をして、「なんでそうなるしかなかったんだろう?」っていう、そこを知りたいと思った。
専門家のお話、1日の研修、連続講座などたくさん受講してそれなりに勉強をしたんですよ。でも、結局その場の一時間~二時間話を聞いて終わりなんです。「これじゃあ意味ないな。」と思って、大学で勉強を始めようと思ったんです。この勉強を始める前に、たまたま今の職場の募集があったんです。ちょうど自分のひとつ前の仕事が切れたときで、その時は正直我が家も想像を絶するような毎日でした。わが子がわが子ではありませんでしたから…。
だからこそ「これだ!」と思って児童デイサービス(当時)、福祉の世界に飛び込んだんです。
そこで学べることがあると思って、お勤めになったんですね。
最初はそうですね。子どものこともよく分からないし、ただ座学で勉強するだけじゃなくて、実際に関わることで、何か息子にも出来ることがあるんじゃないかな?と思うようになって。でも、働き始めてみると、私の知らない想像を絶する世界がそこにはあって…正直大変でした(笑)
今は、日々関わる子どもたちのおかげで自分が成長、慣れましたけど。最初はまだ経験もなくて、すごく勉強したわけでもないので、目の前で物事が起きると「うわっ、どうしよう。」とあせるばかり。支援者が動揺すると、さらにその波動が伝わりコトがおかしくなるんですよ。
考えてみると、苦しいのは子どもたち本人なんですよ。結局彼らは苦しくて、パニックを起こしてそうしているわけで。そう思ったら、私たちはどうしないといけないかな?っていうのが支援者ですよね。で、どうしてその行動が起きるのか?というコトも、いま理論的に勉強しているんです。