その瞬間を見逃さない | 原田 章子
私は短大卒なんですが、学位が欲しいと思って、通信制の大学に入ったんです。で、卒論を書かなくても学位を取得することは出来るんですけど、やっぱり研究をしたいという思いがあるので、2014年度に卒論を書くことを決めました。この夏には卒業研究履修申請を出す予定です。それで今は、その研究のための素材集めをしているところです。
一年以上掛けて卒論を?
まあ、仕事をしながらですからね。仕事をして、家のこともあり、実家のこともあり…なので、何が起こるかわからないから、素材だけは今から探しておいて。ある程度の方向性を早目に決めようかなーという感じです。
卒論のテーマは?
”発達”をテーマにしようかなと。すごく漠然としてますよね。
そうですね。
”心理と教育”という分野を選択しているので、”教育”ではない”発達”、発達していくということを研究テーマにしようかなと。
教育ではなく、発達。
発達。しかも芸術、表現における発達…と言えばいいかな?まだ具体的にどうなっていくのかは分からないんですけど。心理的な療法…例えば遊戯療法だったりとか、コラージュ療法、箱庭療法…いろいろあるんですけど、それって治癒のためにやるものなんです。そういうものって全部、アートの分野では”表現”としてOKなんですよ。別に治らなくたっていいんです。
ああー。
コラージュということをみんなでやって、それで癒されて…とか、それが表現になっているわけじゃないですか。
そうですね。
じゃあ、別に療法にしなくてもいいんじゃない?と思って。半年でも一年でもいいので、お子さんの表現活動のプロセスを追っていけないかな?と考えているんです。そのときに、必ず指導者(関わってくれる人)という人が居て、その指導者の声掛けとか、どういうキャパシティでその子と接するかによって、引き出せるものって変わってくるじゃないですか。それをうまく、研究できないかなーと。
少しイメージしにくいところがありますが…教育や治癒というと積み上げていく印象ですけど、原田さんは“発達”を相互作用だと考えているのですね?
そうですね。発達は、伸びようとする潜在的な力とそれをうまく引き出そうとする力が一緒になって生じるものなんです。みんな、自分の中に必ず能力を持っていると思うんですよ。それを、ある運命的な出会いがあったら、ある日ひゅっとアーティストになったりするわけじゃないですか。そういうのって何なんだろう…?って思っていて。
普通の教育現場の枠の中でではなくて、枠を外れた中での表現と、指導する人の関係みたいなもの。そういうものは、まだ先行研究がないんですって。だからといって、私にそれが出来るかどうかは分からないんですけど、ヒントになりそうなものは見えているので、なんか出来るかもしれない…という感じですか!?
そういうテーマに興味を持ったのはいつ頃ですか?
2年前に勉強を始めてからですね。それまでは、普通に図画工作の時間に絵を描くぐらいの人で、特に何かをやっていたわけではないんです。でも、たまたまこのYCAM(山口情報芸術センター)に出会って、10年前から文化芸術のボランティアとして関わってきて。ほぼ並行して、山口県立美術館のボランティアもしていたんですね。だから、表現的な活動はたくさん見て、ワークショップも子どもと一緒にたくさん参加して、子どもの可能性…学校では×と言われそうなことでも、アートだったらOKということもあるんだ…・ということが分かった。
で、2年前からちょっと勉強するようになると、それまでの体験に理論がくっついてきた。私がアート表現だと思っていたものが、実は心理学の分野では療法として使われていたんです。知らなかったんですよね。遊戯療法なんて、今私が放課後等デイサービスでやっていることと、同じようなことなんですよね。一緒に遊んで、関わりの中から子どもの可能性を引き出す、っていう。
そこが、遊戯療法ということだったら、完全に“時間”という枠が決められていて、”部屋”というものがあって、そこからは出ない。で、”一対一の関係”ということでやるんですよ。その枠からぱーんと出てしまえば、遊んでいるのと遊戯療法と何が違うの?とか思ってみたり…。今まで理論的なことは何も知らなかったので、勉強し始めてから、「ああ、そういうことだったのか!」と。
理論が後付けで。
そう後付け。最初は現場…大抵私はそうなんですけど。企画書も書けないくせに企画をやっちゃった、とか。写真もそうですね、技術がないのに感覚でやっちゃった、みたいな。真逆から攻めている(笑)