感じていることを掘り下げる | 佐藤 理絵

周囲の人にはどういう風に扱われますか?すごく世話を焼かれるとか、逆に頼られるとか

壁はあると思うんです。自分に。

壁はある。

感じますでしょう?低いけど、すごく厚い壁のようなものが。そういうことはよく言われます。

様子を伺う…距離を保つ感じ?

そうそう、距離を保つ感じ。なんか、縁ができるとすごくその人を大事に思ったり、その人のことが気になってくるので。興味関心がない人と繋がる必要性みたいなものに、そこまで価値を持っていなくて。よく言うのが、議員さんなんかはたくさんの対象のない市民の方々の生活を豊かにしよう、というところが起点だと思うんですけど、私は手を繋げる人たちが幸せでいればそれでいいなと思っています。

だからといって、すごく狭い範囲で深い友達しか居ない、というわけでもなくて、その辺はオープンにしていますけど、会って、お話をして、「嫌いじゃないな」とか「この人はこういうことを考えているんだ。不思議だな」とか、そういうので人に興味を持ったり、ですね。

初対面の人と誰とでもすぐに打ち解けるタイプではない?

それを技術としては持っていないかも知れないです。でも、社交的だとは思います。

社交的に人と接することは出来るけれど、深く入るかどうかは興味が湧くかどうか。

興味を持とうと努力している感じですか。

興味を持とうと努力している(笑)

でも、全ての人ではないと思います(笑) うーん難しいなあ…感覚だけなんですよね…感覚に素直です(笑) 「あ、いいな!」とか。あっ、これです、たぶん。「いいな!」とか「いける!」という感覚は、ズレていないような気がします、自分では。そういう感覚は大事にしています。難しいなあ…自分に合う人を察するセンサーみたいなものは、比較的感度が良いというか。

それは短い時間でも分かる?

うーん、分かりたいと思います(笑)

分かるときもあるし、分からないときもある。でも、分かったときは間違いないと。

だから今、こういう流れでこういう仕事が来ているとか、これはきっとこの先広がるな…という分別も、間違っていないような気がするので。自分たちがなんとなく大事にしているものとか、やりたいなと思っていることとか、どんどん周りから集まってきているんですよね。それも、私と福岡(地域活性の企画で知り合ったパートナー)が持っている縁というか。「したいな」と思ったことが、次々に集まる。環境であったりとか、きっかけとか。そういうところがありますね。

なので、「人と何かがしたい」という思いがもともとあるので、そこにもリンクするし…という感じかな。自信はないです、自分には。でも、「こういうのは大切」とか「これって素敵だよね」というところの、価値観のこだわりみたいなものはあると思います。

なるほど、自信はないけど、頑固なところはある。

私のことをよく知っている人からは、吸収能力…色々なことを言われても「違う」とは思わないで、人から言われたことは吸収できるんです。引き出しには入れられて、それに自分なりの解釈を加えて出していく、みたいな感じ…というのはよく言われます。バランス感覚が良いとか。自分のこだわりを前に出すというよりは、人と共有するものの中で、”解釈する”とか”咀嚼する”とか”ちょっとキレイにする”とか、そういうことは好きですね。

だから広告とかも好きですね、キャッチコピーにも興味があったりとか。なんでもないことが、自分の視点が加わったことでキラリと光るというのは「いいなあー」と思う。「それがしたい!」「それが生き甲斐!」とかではないですけど。

自分が加わる、というところは大事なんですね。

うん。自分にしか出来ない、みたいなことは大事にしたいなと思います。自分が入ることで何かが生まれる、ということにはすごく興味があります。「興味がある人」です(笑) 何かを成し遂げたい人じゃなくて、何にでも興味があるし、色々なことを解釈して表現したい。でも、それがアーティストになりたい、クリエーターになりたい、みたいなことじゃなくて。

百万人居るなら、百万人の仕事があってもいいな、とは思います。でもそういうことは、表には言いたくない(笑) 別に言わなくてもいいと思っています。価値観を共有できる人が居たらいいなーという感じです。

自分の特技なり能力なりがあって、ただそこに名前が付いてない、というような?

そうですそうです。「河口さん」「佐藤理絵」という職業があったらいいな、と思います。そんな感じです。まとまりましたね(笑) 良くないですか?

(笑)

哲学はたぶん、あれです。「曖昧で、やんわりと、自分が好き」な感じ、そういう人が沢山居たらいいな、と思います。これというものがなくても、自分が生きてきたベースとか、家族からの愛され方とか、得てきた経験値から、何か出来ると思います。

その曖昧さというか、柔軟さというか、すぐに形が変わりそうなところが軸になっている、というか。

”こだわり”みたいな幹はあるけど、まわりは粘土細工みたいに、常に変わるような。でも、一応幹はあると思いたいので(笑) それが人になったり家になったりは分からないですけど。「佐藤理絵」というものがあったとして、それのまわりを形づくるものは、別に何でも良いと思います。

うん、なんか掴みかけてきたような気がするんですけど、この掴みかけてきた感じのまま終わるような気がします。

掴みどころがない感じでしょうね。どうしよう…もしくは、起業に向けての熱い思い、みたいなほうがいいんですか?

いや、そういうのは要らないです(笑)

それを持って出資してください!みたいなほうがいいんですかね?

出資はして欲しい?

いや、出資が少ない程度で仕事ができれば、と思っていますけど。「そういうの面白いね」みたいに、糸井重里みたいな人が出てきたらいいですよね(笑)

それは出資者として?(笑)

といって、そこまで崇拝している訳ではないですけど。手帳も使ってないし(笑) キャッチコピーみたいな世界観は好きです。曖昧であるけど心に響く、みたいな。ああいう表現がいいなと思います。答えはこれだ!と決め付けない、みたいな。「28歳になったら結婚しないといけない」とか「女の幸せはこれだ」とか「男はこうあるべきだ」とか、決め付けない。決め付けないっていいなーって。

可能性…でも「可能性を信じて!」という固いことも考えてないけど。「キラリと光る」とか「あったらいいながここにある」とか…答えはみんな自分の解釈の中にあるというのに、豊かさを感じますね。そういうところに価値観を持てるのが、豊かだなって思います。曖昧ですよね(笑)

その曖昧さを残すところが大事なんでしょうね。

バランス感覚は本当に悪くないと思うので、何かがコケて転げてしまうとか、そういう場面は想像も出来ないです。自分が精神的に追い込まれて心の病気になるとか、そういうのは絶対にないと思っています。たぶん確固たる、絶対的な愛情を受けた自信とか、恵まれている縁とか、きっとそうなんだろうなと思います。あるものを大事にしている感じです。あるものの価値観みたいなものが減ってきている時代で、そういうものに価値を感じられたらなと思います。曖昧だなあ。曖昧な哲学。