経験値を上げる | YAKKO
今やっていらっしゃるイベントも、同じようなスタンスなんですか?
そうですね。オーガナイザーに「やってくれ」と頼まれて「いいよ」と。
よく頼まれるんですね。
よく頼まれますね。で、動けなかったら断りますけど。
結構動けちゃう。
やっちゃいますね。だから、BLASTを辞めて、TONY’Sに戻るまでの間に、実は周南のイタリアンレストランでも働いているんです。それも「オープンしたばっかりで、スタッフが居ないから入ってくれ」と言われて…「いいよ」って(笑)
ほお。意外と入って欲しいときに、ちょうど良く空いているんですね。
みたいですね。まあ、断っているものもありますけど。
なんでしょう、頼みやすい雰囲気があるんでしょうか。
なんでしょうね、何でも引き受けてくれるとでも思うんでしょうね。何でも屋さんみたいな(笑) まあ、誰とでも話せるんで。だからじゃないですかね?基本はやっぱり人間関係で、話をすることだから。それが何とか出来るから…かな?
今までに「これは、どうしてもやりたい!」と思って、自分から始めたことって何かありますか?
うーん…ないですね。ないかも。
学生の頃とかは、どうでしたか?
中学校は、部活は吹奏楽をやって、それはちょっとしてすぐ辞めたんですけど、それから美術部に入って、美術部は部長をやっていました。高校では、生徒会と、文化祭実行委員長をやっていました。それぐらいですね。
結構、色々やっていますね。
まあ、頼まれるんで(笑)
美術部の部長も、頼まれてなったんですか?
そうですね。
美術部に入ったのは?
絵を描くのが好きなので。音楽と絵を描くのは、小さい頃から好きだったんです。
音楽と絵は好きで、でもそちらを凄くやりたい、というような欲求もなく?
うーん、ないです。でも、音楽に関しては、4歳からピアノをやって、小学校のときにマーチングバンドをやって、中学校から社会人団体として、同期のメンバーでチームを作ったんです。
マーチングのチームですか?
マーチングと似ているんですけど、ドラム・アンド・ビューグル・コーという…それのチームを結成して、大会とかに出ていました。それは高校まで。
マーチングってハードで、指導も厳しいという印象があります。
厳しかったですね。ドラム・アンド・ビューグル・コーは、大学受験の前まで続けました。
それは、どういう気持ちでやっていたんですか?
うん?どうだったかな…結構昔のことなので(笑) まあ、マーチングを3年やっていて、それをするのが当たり前、というような流れですね。
なるほど。それを凄くやりたい…というよりは、それをやることが日常になっている、という感じですか。
そんな感じですね。