無理をしない | 近藤 凜

ああ、3歳ぐらいのときの…

その記憶があって。中学の頃にバイク雑誌を買って、女性の方が乗られている写真を見て、「ヤマハのドラッグスターに乗りたいな」って思ったんです。で、20歳になってから、バイクの中型免許を取り始めて、1年後ぐらいに大型も取って、そのときぐらいにオートに入ったんだと思います。

それ以前からバイクに興味があって、免許を取れる歳になったら取ろうと思っていた、と。

はい。自分が責任持てる歳になってから取ろうと。

それで中型、大型の免許を取って。その頃は、バイクとお仕事というのは、ご自身の中で繋がっていたんですか?

それは、なかったですね。中型免許を取って、山陽オートに入る前に、飯塚オートにも行ったんですよ。そこで見た誘導車の方がすごく格好良くて。「うわー、いいなあ!」と思って、山陽オートに面接してもらいました。

あ、そのときは募集があったわけではなくて?

ないです。飛び込みで。

どんな感じでアプローチを掛けられたんですか?

今はもう辞められているんですけど、なぜか予想屋さんと仲良くなって…

レースの結果を予想する予想屋さん。

はい。たぶん、若い女の子が一人でふらついていたから(笑) まだレースが多かった頃なので、ほとんど毎日通っていましたね。毎日来て、レースを見て、一日3,000円で遊んで帰って。

券も買っていたんですね。

買ってましたね。でも、ほとんど気持ちで買っちゃってましたね。「この選手がいいな、ファンだから」みたいな感じで。だから、当たらないですよね(笑)

(笑) まあ、その選手を応援するような気持ちで。

そうですね。オートを見ていたら、自信や勇気をもらえるというか。「ああ、この人たち頑張ってるな」って思って、通ってましたね。危ない仕事ですからね。

そうなんですね。で、通っているうちに、予想屋さんに声を掛けられて。

そうですね(笑)

それからどうなったんですか?予想屋さんが、オートの方と繋いでくださった。

そうですね。それから、オートを始めて。先導希望で入りました。それから3~4年ぐらいかな、前の誘導車の交代要員…急に休まれたときに、乗れるように待機していました。管理室というところで、選手の人たちのために放送をしたりする仕事をしていましたね。管理室に居たら、選手の顔を覚えられたし、レースも近くで見られたし、事故があったときの対処とか、そういうものを覚えることができました。

なるほど。交代要員として控えていて、その間に色々なことを覚えていったんですね。

はい、覚えさせてもらいました。

覚えさせてもらった。なるほど。それから、どういう風にして先導になられたんですか?

前の先導車の方が、確か体の調子が悪かったのか、チェッカーフラッグのほうに移られまして、それで乗り始めました。

前の方が異動されて、それでやってみるか?と。

はい。「喜んで!」みたいな感じで(笑)

(笑) 始めて先導されたときのことは、覚えていらっしゃいますか?

無我夢中でしたね。失敗しないように…焦ってましたね。

焦っていた。

後ろの選手の気迫と、お客さんたちの視線…すごく緊張しました。そのドキドキ感も、たまらなくいいんですけどね(笑)

そういうドキドキ感は、今でもありますか?

ありますね。今は新人選手が一号車…一番前なので、速過ぎてもいけないし、遅過ぎてもいけないし、カメラもきっとあるだろうし…と思いながら。

色々なことを意識していらっしゃるんですね。

そうですね。