風のように生きる | 林 祥子

写真も動画も空間デザインも。それらの中に共通する部分があると感じているんですね。空間デザインに興味を持ったのは?

それは、元々の仕事が建築関係で。私は事務をしていたんですけど、不動産の資格を持っていて、どちらかというと一戸建て住宅とか、そっちのほうをやりたいなという思いがあって。インテリアデザインとか、インテリアプランナーの資格を取ろうと思っていたんですけど、こちら(山口県)のほうには、そういった仕事はないよと言われて、諦めていたんですよね。

たまたま、このタイミングで東京に行くことになって、そしたら向こうで出来る仕事も増えてくるし。一個に特化するよりも、幅広く色々なことをまとめて出来るということが、可能になるのかな?と思って。なので、諦めていた空間デザインなどの勉強もしていきたいな、と思っています。

なるほど、こちらでは出来なかったことが、出来るようになるかも知れないと。

うーん、だけど、こっちで出来ていたことが、今度は出来なくなりますけどね。それはやっぱり、その場その場で変わってくるとは思うんですけど。

環境が変わることに対しては、柔軟に対応できるほうですか?

うん、どこに住んでも生きていける、無人島でも生きていける気がします(笑) なんていうんでしょう、環境に対するこだわりというのがあまりなくて、結局そこでどう展開していくかは自分次第じゃないですか。だから、自分自身に「どうしたい」という思いがちゃんとあれば、それで大丈夫じゃないかなと思います。

だから「今からインドで働いてきて」と言われても「はい、喜んで行きます!」というと思うし、「南極に行って仕事してきて」と言われても「はい、行ってきます!」と言うと思うんです(笑) それは、本当にどこでもいいと思うんですよね。どこでも、その土地ならではの楽しさを見つけることができる気がするし…継続しないほうなので(笑)

その辺が、祥子さんの面白さじゃないかと思うんです。例えばFacebookだけで見てる人は、たぶん「なんて自己愛の強い人なんだ」と思っていると思うんですけど…

(笑)

だけど、実際は自分自身に対するこだわりは、それほど強くないような気がするんです。

ないですないです。本当にこだわりがないというか、「嫌い」がないんですよ、私の中で。

「嫌い」がない?

「嫌」と思う基準が、人よりもすごく低いんだと思うんですよ。「今日からあなたの仕事はトイレ掃除だけね」と言われても「はい、喜んでやります!」というような…嫌と思うことがあまりなくて。その「嫌だな」と思うこと自体、違うんじゃないか?と常に思っているんです。「なんで私、これを嫌と思うんだろう?」って。それは、やったことないし、周りから与えられた情報で、勝手に嫌だと思っているだけかも知れないし。やってみないと、その物事の楽しみ方とか、分からないじゃないですか。なので、嫌だと思うことこそ、進んでやりたいなと思って。

なるほど。そこでも、自分の第一印象みたいなものを、疑ってるんですね。

そうです。「いい」と思ったものには、すぐ飛びつきますけどね(笑)

嫌なことが少ない。

少ないですね。でも、後からどんどん嫌になってくることはあるんですよ(笑)

(笑)

やってみたけど、乗ったはいいけど、「嫌だな~早く終わらないかな~」と思いながらやることはありますけど。でも、それで自分が本当にそれが嫌だった、ということが分かるので。「じゃあもう二度としない」って思いながら…またやるんですけど(笑) 結局やっちゃうんですけど…。

嫌だと思いながらまたやっちゃうのは、人に期待されているからですか?

なんだろう…「嫌」と思うことって、苦しいじゃないですか。そういう感覚って、すごく好きなんですよ。

??

苦しんでいる自分が好き、みたいな…「ああ嫌だ嫌だ、もう苦しい」と感じているときの自分が、心地良かったりすることもあるから(笑) 「なんで私こんなことしてるんだろう…」と思いながら、しているのが良かったり(笑)

…その感覚は難しいですね(笑)

だから、「究極のドM」とよく言われますけど。苦しみを抜けた後に…山登りと一緒ですよね、苦しみを抜けた後に、普段では得られない開放感だったり喜びだったり…苦しみが強ければ強いほど、後から得られるものが大きいので。それを得るために、あえて苦しみを選ぶのかも知れません(笑)