自分のカラー | 川畑 真弥

21歳で結婚されて…そこからずっとノンストップで、育児とお仕事をされているんですね。

そうですね。一人目の子供のときも、一ヶ月で仕事に復帰したりとか。でも、そういう人って多いみたいですね、最近は。青年部にいると、皆さん事業をなさっている方が多いので、結構そういう方がいらっしゃって、「自分だけじゃないんだ」と元気にはなりますね。みんな一緒。主婦も大変なんだけど、楽といえば楽、ですよね。そういう話を聞くと、本当に自分は遊んでないし、夜も仕事だし、友達と遊ぶことも全然していないので、「いいなあ」という思いもあるんですけど、まあでも、縁がすごく出来たので、それは他の主婦の方よりはすごく良い人生だな、と。得している、と。

得している。

青年部に入って縁という繋がりが出来て、Facebookでさらに他の青年部さんと出会えて、またお店に来てくださるので。他の方よりも、すごく得をしているなと思います。なかなかこういう人生はないですよね。

青年部の方って、すごく活発に活動されていますよね。普段は仕事をして、休みの日はほぼ

青年部の活動をして。いつ休んでいるんだろう?と思うぐらい。
休みはないですね。夜も委員会とか、いろいろあったりするので。私は今年、副委員長をやらせてもらっているので、さらに忙しいですけど、楽しいです。青年部活動は大好きなので、自分に合っているのかなって。

それも始められてから、そういうことに気づいた。

うんうん。最初は入ったら、(お店に)来てくれるかな?という気持ちもあったんですけど。今は、楽しいからやっている、という。初年度からずっと皆勤賞を頂いています。仕事以外の仲間と居る、というのが楽しいのかなと。仕事は仕事なんですけど、それとは別の仲間なので、仕事のことをあまり考えずに、団体で別の事業をするということって、あまりないじゃないですか。光市は「光祭り」というお祭りがあるんですけど、今回商工会議所が受け継いでやるんです。それもまた、一から決めていかないといけない。その中に居るというのが楽しいですね。いま一番楽しんでます。

お店のスタッフも良い子が揃ってくれたら、別の道に行ける。カメラをもうちょっと頑張ろうかなと。お店はスタッフに任せて、青年部の活動もして、カメラの道もちょっとずつやっていこうかなと思って、頑張っています。なかなか無いんですけどね、カメラで活躍できる場面は。難しいんですけどね。

確かに。

前に、ベネッセのページにクリエイター募集があって、そこの何期生かに受かって、写真を載せていたんです。そこから、東京のデザイン会社の方から声が掛かって、一回本の表紙になったんです。内容がちょっとあれなんですけど、「欲望のゆくえ」という本の表紙になりました。プロの写真家の方に「すごい」と言われて、実感が沸かないんですけど、Amazonとかで見て「あ、なってるなってる」と。それが、一番最初の仕事ですね。

いきなり大きい仕事が。

まあでも、選ばれるとは思ってなかったんです。人が関わっているので、決めるのにすごく時間が掛かって。でも、本当に一生に一度あるかないかのことなので、すごく嬉しい。それが、カメラをやっていて貰った一番のプレゼントですね。本の内容は…ハード過ぎて、途中で閉じました(笑) そういう内容なんですけど、嬉しかったですね。ギャラも発生したので。

結婚式の撮影などは、勉強させて貰っているので、タダで受けているんです。良い写真も悪い写真もあるけど、全部プレゼントします。難しいですけどね、結婚式の写真は。でも楽しいです。良い勉強をさせて頂いてます。写真が楽しいです。

写真を始められたのは、どのくらいからですか?

きっかけは、子供が生まれて、保育園に入って、運動会なんかのときに「カメラが欲しいね」と言って、ミノルタのフィルムの一眼レフを買ったんです。それからコンパクトデジカメに移行したんですけど、それでは物足りなくなって、結婚10年目という名目で、主人にカメラを買って貰いました。そこからですね、もっともっと写真を頑張ろうと思ったのは。

だから、今もう楽しくて楽しくて。撮りたい時期と、一切触らない時期と、すごく差があって。たぶん、私はO型なので、はまるときはすごくはまるんですけど、飽きたら一切手を付けないという時期があるんですけど。最近はまあまあコンスタントに…海が好きなので、虹ヶ浜をずっと撮り続けているんです。ある新聞記者さんに「ひとつのものを撮り続けるというのは、すごく良いことだからずっと続けたほうがいいよ」と言われたので、いろんな顔の虹ヶ浜、四季折々の虹ヶ浜を撮り続けています。いつか、伝えたいですね。

伝えたい。

虹ヶ浜という海を、伝えられたらなと。でも、私にはカメラの最終目標があって…硫黄島に行くのが、私の最終目標なんです。硫黄島とサイパンなんですけど。

硫黄島とサイパン。

これを話すと、また長くなるんですけど…戦争について伝えたいというか、いま残っている対戦の残骸を撮って、みんなに戦争というのはこういうものだったんだよ、ということを伝えるために、硫黄島に行きたいんです。あそこは自衛隊の島なので、なかなか入れないんですけど、いつか入って…まだあそこには、戦争の残骸が残っているんよね、それを残したいという最終目標が。サイパンにも日本のものがすごく残っていると聞いたので、両方。とりあえず、行けるのはサイパンのほうが早いので、硫黄島が最終目標。で、光市にもあると聞いて、「光市からやってみたら?」という声も掛かったんですけど、なかなか時間がないのと、(自分の)波があって。

夏が近づくと、(テレビなどで)戦争モノとかを目にするようになって、そのときに使命に駆られる、というか…前世があるかどうか分からないですけど、戦争に関わっていたのかな?と。なので、戦争について写真で伝えたいというのが夢です。最終目標はそこにありますね。お婆ちゃんになっても叶えたい夢です。戦争…知覧には4~5回行って、ひめゆり(の塔)や回天にも行ったんですけど、まあ見たときの「伝えたい」という使命感がすごい。勝手な使命感なんですけど、すごくあるんです。おかしいのかな…と思うぐらい強い。

なにか具体的なきっかけがあったわけではなく?

そうなんです。元々そういうものを見たり、そういう場所に行ったり、ということがきっかけなのかも知れないですけど、伝えたいなと。今は、戦争を知らない子供が居てもいいんじゃないか、という考え方もありますけど、私は日本人が人を殺したりした事があったよ、ということを自分の子供にも知って貰いたいので、「大和」に連れて行ったり、戦争ものがあったら見せたりしています。で、子供たちがどう思うかは自由なので、あとは自分たちで考えさせるという。それでいいんじゃないかな、と。すみませんね、話がすごく飛びましたけど。