メールと、英会話と、司会 | 成井 恵美

そこを1年経験されて、次にお勤めになったのは?

欧州系の航空会社ですね。

そのときは、クルー希望で入られたんですか?

そのときは、総合職で2名取るという募集を見かけまして。最初は、どんな仕事をやりたい人間であっても、予約からスタートしてもらう、と。予約部に居ると、お客さまからの沢山の質問に答えないといけないので、一番知識が頭に入る、ということで、予約部に配属になりました。

その頃は、受けられる航空会社も、年齢制限で狭まってきていたんです。で、自分自身に問いかけたときに…「自分は本当にキャビンクルーだけになりたいのか?」と考えたときに、いやそうではない、と。航空会社の、飛行機を飛ばすロマンといいますか、お客さまがそういう楽しい時間を過ごすためのお手伝いをしたい、ですとか…もちろん、自分自身も海外へ行って色々なものを見たいというのもありましたし…そういう目的を果たすためには、必ずしもキャビンクルーでなくても良いのではないか?と。

こういう欧州系の会社が、総合職を募集することって、10年に一度あるかないかですので、とにかくこのチャンスに一回受けてみよう、ということで。とりあえず予約を経験してから、自分の本当にやりたいところに手を上げて、キャリアを積んでいってもいいかな、ということで転職をして、そこは何とか17年間勤めました。

かなり長いこといらっしゃいましたね。

そうですね。結局、宇部に転居するまで、ですね。

そのなかで経験されたお仕事は、予約から始まって…

まず、予約で何をしたか、具体的に言うと、まず一般のお客さまの電話対応が1年。その後は、契約旅行代理店さまの電話対応が1年。残りの1年半は、契約企業…ほとんどが外資系なんですけど、その契約企業さまの対応の特別窓口。トータル3年半が予約部。

その後の3年半が営業開発部といいまして、営業の全般的なサポートと、本社と相談して日本での航空券の販売価格を設定する役割。で、残りが全部営業です。実際に表に立って、お客さまに会う営業です。

大半が営業職に携わっていらっしゃったんですね。

そうですね。航空会社の営業と一口に言っても、色々な仕事があって。一番最初が、契約旅行代理店さま向けの営業。その後は、日本の契約法人さまの担当。その後が、外資系の契約法人さまの担当。後は、グループツアーに特化した団体営業。それと、新規開拓営業。あともうひとつ、その時期にある大きなイベント、最近ですと、ロンドンオリンピックですね…オリンピック関連の需要で出張に行くお客さまだったり、スポンサー企業への営業。

…ということで、営業部にある全てのセクションを経験しました。すべて経験させて頂いたというのは、おそらく社内で私一人かと思います。良い経験をさせてもらいました。

日本の営業部には、どのぐらいの人数がいらっしゃったんですか?

それがですね…元々日本法人全体で80人ぐらい居たと思うんですね。それが、リーマンショック後にどんどんダウンサイジングされて、最後私が退職したときは、全体が18人になったんです。その18人で、全てのことをやるんです。IT、マーケティング、広報、人事、総務、営業、営業サポート、団体予約、経理など…ですので、最後私は何役もあって、名刺を複数持っていました(笑)

兼任兼任で…でも、景気が悪くなっても、業務自体が大きく減るわけではないから、大変だったでしょうね。

おっしゃるとおりです。それは、私が居た会社だけではなく、おそらく皆さん同じような経験をされていると思うのですが…たぶん外資ということもあって、比較的極端なやり方をしたんだと思います。残った人間は、いつ切られるか分からない危機感を抱えながらも、とにかく残ってやっていこうということで、何でもやっていかないといけない、というところがありましたね。そんななかで、私はちょっと心と体を壊してしまいまして。

そうなんですか。

最初は、体だけだと思ったんです。というのは、具体的に言うと、呼吸がうまくコントロール出来ない…要するに自律神経がおかしくなって、自発的な呼吸がうまく出来なくなってしまったんですね。でも、何か身体に異常があるんだと思って、脳ドックに行ったり、心肺ドックに行ったり、色々とお金と時間を掛けて体のあちこちをチェックしたんですけど、どこに行っても原因が見つからない。で、行き着いたのは、体ではなくて心のほう。

毎日、早朝から夜中の1時~2時まで毎日毎日、土日もなく…仕事をしているときは、とにかく全てに集中、締切のあるタスクをいつも沢山抱えていて、やってもやっても終わらない。どうしたら時短出来るか、スピードアップできるか、省力化できるか…などということを、常に常に考えてやっていました。それで、晴れて効率化できてちょっと時間に隙間、余裕が出来ると、またすぐそこに仕事が入ってきて。もの凄く追い詰められていました。

それで、苦しくなって…そんななかで、たまたま夫の転勤があって、会社を辞めてこちら(宇部市)に来たんですけど、そしたらすごく楽に呼吸が出来るようになって(笑)

こちらに来られるまで、不調の原因は体のほうにあると思われていたんですか。

そうですね、どこの病院でも「あなたは異常ない。心のほうへ行きなさい。」と言われて。でも、時間がないというのもありましたし、それでもやっぱり体のほうじゃないか?と、それを認めたくない自分も居て。「私はまだ頑張れる。こんことでへこたれる自分じゃない。」という思いがあったので、たぶん心に原因があるという可能性を否定していたんだと思うんですね。

なので、そちらの病院には行かずに。今、組織から離れて、自分のペースでやるようになって、体の状態が良くなったので、今思えば心のほうだったのかなぁ…と。

ご主人がお仕事の都合で先に引っ越して来られて、その後で追いかけて来るようなかたちだったですね。

といっても、3ヶ月遅れなので、そんなに差はないんですけど。夫は採用が決まってから、もう1ヶ月後には仕事が始まることになっていたので、もうとにかく早く行かなくちゃいけない、ということで先に行ってもらいました。私と娘は、手続きやら何やらでとても間に合わないので、とりあえず先に行って、と。

ご主人が山口に引っ越されることが決まったとき、すぐに一緒に行くことを決断された。んですか?

ああ・・・正直、かなり悩みました。ただ、そんな状態でしたので、そろそろこの会社を離れてもいい時期なのかな…そのほうが自分の体のためには良いのかな、という思いもありました。一方で、何か新しいことを始めるのであれば、やはり地元横浜のほうが人脈がありますし、自分のこれからの構想を話したときに「手伝うよ」「一緒にやろう」と言ってくれた人も沢山居たので、縁もゆかりもない土地に行くよりは、この土地にとどまっていたほうが良いのかな?という思いもありました。

ですから、もし夫が、自分は単身で行くよ、そのまま横浜にいてもいいよ、という選択肢を私に渡していたのであれば、そちらを選んだ可能性も…実はありますね。

こちらに来る決め手となったのは、ご主人の希望があったんですね。

はい、強い希望が。単身は嫌だ、と(笑)それとプラス、夫は転勤族というわけではないので。もしも、3年、5年…と期間が決まっているのであれば、単身というのも選択肢にあるんですけど、そうではなく、本人としては、終の住処にしたいという希望があったので、それならば我々家族も一緒に行ったほうがいいかな、と考えました。それに、私はあまり引越しをしたことがなく、ずっと地元を出たことがなかったので、ここで人生の大きなチャレンジをしてもいいんじゃないかと。

それまでは、何となく目が海外に行っていたんですが、そうではなく、日本でも知らないところは沢山あるし、自分の環境をガラッと変えてみるのも、意外と良いんじゃないか?という、前向きな考えもあって。で、色々と調べましたら、とても良いところそうだったので、それで「行ってみよう」と。