その瞬間を見逃さない | 原田 章子

それはなんでしょうね、そっちのほうが良い写真が撮れると…

その7月の親子「キラリ」撮影会で気がついたんだけど…、せっかく撮影会ってことでやってるのに、私のほうを見て向き合ってもらわないと、何も生まれないじゃん、と思って。ほんのちょっと意識して、私を見てもらったら、目と目が完全に合うので…まあ目とカメラですけど、本当に「キラキラ」が撮れるんですよね。無理やり笑わせることもしない。だんだん楽しくなってくるんですよね、お互いに。もう子どもさんなんかノリノリですよね(笑) そうなったら私も寝転びながら撮っちゃうみたいな、そんな感じでしたね。

写真に関することでいうと、カメラを手に取ったきっかけから、今のスタイルに至るまで…やむを得ず始めて、人に薦められて、背中を押されて…自主的にやったところがあまりないですね(笑)

だって、本当にカメラが嫌いで、「メディアは嘘つきだ」って思っていたんです(笑)

(笑)

やっぱり「自分の目で見たことが、間違いのないことだ。」と、勝手に思っているんです。

写真もそういう印象があったんですか。

最初は…。でも今は、カメラは真実を映し出すマシーンだと思っています。自分の撮った写真は、間違いなく真実じゃないですか。だんだん自分が写真を撮っていくうちに、自分が撮ったものや、信頼できる人が撮ったものは、確実に“真実”だと思えるように。でも、すり替えられる写真もある。

カメラが本当に真実を映し出しているんだな、と思ったのは…写真家:佐藤時啓さんがつくったカメラ・オブスクラをワークショップ(防府市)で見たときです。ここYCAMにも設置したんですけど(obscura machina 2004)、人が入ることが出来るカメラの装置、真っ暗な箱のような空間をつくり、その壁にレンズを埋め込む。レンズから入ってきた光は、白いスクリーンに外の風景を逆さまに映し出す。これがまさに「カメラ・オブスクラ」!

10年前はその意味が分からなかったんです。で、去年(2012年11月)、佐藤さんと岡山(岡山芸術回廊)で再会したときに、改めてカメラ・オブスクラを見て、やっぱりカメラは真実を映し出すんだ…ということに気づきました。「自分の写真はありのまま、だからいいんだ」と(笑) 勝手に思うようになっちゃいましたね。なのに…こんな風に撮ってくれとか、キチンとした枠にはめられると撮れない、技術がないからね~、私(笑)。

原田さんの場合は、技術の上手下手よりも、真実か否かのほうが重要なんでしょうか?

私の写真って、動きがあるんですよ。自分で言うのもなんだけど(笑) (過去に撮った組写真のスライドを見せてもらいながら)
これは知人の自宅なんですけど、そこにおじゃましてからの時間の流れを…そのまんま淡々と映し出す、というような。だから、たった一枚では見せられない。私の場合は、必ず複数の写真ですね。ただ順番に映し出しているんだけど、そこに何かを感じてもらう…、みたいなスタイルの写真なんです。だから、一発でちゃんと撮れるのはプロの写真家ですよね。私はちゃんとした写真は無理って分かってるんです(笑) だから私の作品は、写真ではなく”インスタレーション”だと思っているんですけど。

その瞬間を切り取るというよりは、時系列を組写真で表現するというような。

そうですね。瞬間を切り取ってるんですけど、並べてみるとそこに時間も見えてくる。

動画的な写真なんですね。

そうそう、動画的。動画の編集もするんだけど、動画じゃなくてもスライドショーで十分だな、と思っていて。時間軸の上に、自分が考えて…考えなくても、もうシャッターを切り始めた瞬間から出来ちゃってるんですよね。

第65回県美展の時、審査員の先生に質問したことがあるんですよ。「私、技術がないんですけど、勉強したほうがいいと思いますか?」って。そしたら「いやー感覚が重要だよ。」と言われて。「そうですよねー!」って(笑) その場所に居合わせなかったら撮れないわけで、その瞬間を見逃していたら映らないわけだから、その瞬間に出会えるのって運命だよね。そこでシャッターを切っている。それがあっての技術なんじゃない?って。技術はあってもなくても、とりあえずそこに居るかどうか。技術は後からついてくるよ。感覚が重要だ…ということを言われて、「あ、今のままでいいんだ。」って。